2023/11/26 「第4回アーティスト&カーペンターフェスタ」にブース出展しました。

11/26(日)、東戸塚の幸和建設で開催されたイベント「第4回アーティスト&カーペンターフェスタ」にブースを出展しました。

 

子どもたちをたくさんの”楽しいしごと体験”に誘うイベント。わたしたち(一社)半原宮大工集団も、“ジャパニーズカーペンター”宮大工の文化と魅力を伝えるべく体験ブースを出展しました。

アーティスト&カーペンターのポスター

 

ブースの概要

 

大工道具が電動化し、身近に大工さんを見かけなくなった現代。ホンモノの大工道具ならではの「木と対話する」体験を、ホンモノの大工さんとの交流を通じて味わってもらうのが当ブースのねらいです。

今回のブースはこんな感じ

 

子どもたちにカンナがけを教えていただくのは、半原宮大工の継承者・鈴木光雄さん。ブース内には鈴木さんご所蔵の昔の大工道具も展示しました。

貴重な大工道具の数々

 

「やってごらん!」

 

開場してすぐ、ブースを見つけた小さなお客さんたちが駆け寄ってきます。大工の世界に興味津々の様子。

 

鈴木さんはカンナ削りのやり方の詳しい説明はしません。お手本に一削りして見せたら、すぐ「やってごらん!」と子どもたちにカンナを渡します。

 

始めから手取り足取り指導しないのが鈴木流。子どもたち自身のチャレンジを、後ろからニコニコと見守ります。

 

人生初のカンナがけチャレンジ。自分で出した初めての「削り華」を手にして、みんなニッコリ笑顔です。

見えない所に職人技

 

一発目から見事な削り華を出す子もいれば、そうでない子も。それでも2-3回で、みんなちゃんと削れます。

 

もちろん、こんなに上手くいくのはワケがあります。

 

子どもたちが削りやすいよう、カンナの刃先の出具合を絶妙に調整したり、凸凹になる材の表面を時おり平滑に整えたり。鈴木さんのさりげない職人技が光ります。

台ガンナと「削り華」

 

カンナ削りの木くずを「削り華」といいます。

 

名人の削り華の薄さはわずか数ミクロン。髪の毛よりも薄い、半透明の美しいテープです。

 

「台ガンナ」が室町時代に登場したことで、薄く平らで精密な削り加工が可能になりました。この技術革新により、日本が世界に誇る高い精度の木造建築が花開いたのです。

台ガンナと削り華

 

名人のような薄さはなくても、子どもたちにとっては自分の手で出した記念すべき削り華。

 

ジップロックの袋に入れ、オリジナルシールを貼ってお土産にしました。きょうの宮大工体験を思い出すきっかけになってくれればと思います。

 

大工道具の多彩さ

 

古い大工道具の数々は、当ブースのもう一つの見どころ。

 

日本の大工道具は種類の多さも世界一。かつての大工さんはふつう100種類以上の大工道具を持っていたそうです。宮大工ともなれば、寺社建築にしか使われない新旧の珍しい道具類も必要になります。

大鋸(おが)引きの実演

 

大径木用の巨大ノコギリ(大鋸)に、指先ほどの小さなノミ。曲尺(かねじゃく)やヤリガンナ。見たこともない道具の数々に子どもも大人も興味津々。鈴木さんの実演に歓声があがります。

 

職人の祭典

 

アーティスト&カーペンターは「職人の祭典」。さまざまな分野で活躍する地域の職人が集います。

 

キッチンカーでのフライドポテト体験。メスティンでの炊き出し体験。ドローンファイトや快眠寝具での健康睡眠体験。

 

好奇心をシゲキする楽しい体験の数々に子どもたちの目も輝きます。

キッチンカーでポテトフライ

 

エキサイティングだったのは、きたむら農園さんの薪割り体験。かつて暮らしの中にあった”薪割り仕事”は、いまや幻の激レア体験に。

 

見たこともない「薪割りマシン」に大興奮です。

薪割りマシンにビックリ

 

ブース同士の「連携プレー」

 

そのきたむら農園さんのブースから、当ブースに一本の材が届きました。広葉樹のクスノキの薪です。

 

スギやヒノキなどの針葉樹は、軽くて柔らか。繊維はまっすぐで台ガンナ向きの材です。

 

一方広葉樹はカタくて重く、繊維は複雑に曲がっています。広葉樹の薪のような粗い材に台ガンナをかけるのは、至難の技。

 

そこはプロの大工の鈴木さん。職人魂に火がつき、手こずりながらも見事にクスノキの削り華を出してくれました。

クスノキの削り花

 

香りを味わう

 

“香り”もまた、木に触れる体験のひとつ。

 

ヒノキの削り華は高い芳香を放ちますが、クスノキの削り華の香りは「強烈」。タンスの虫除けに使われる樟脳(しょうのう)の原料でもあります。

 

2つのブースの華麗な連携プレーによって、木のテーマにマッチしたオリジナルのお土産アイテムが生まれました。

 

子どもたちの「成長ゾーン」

好奇心を刺激された子どもが「もっとやりたい!」と思った瞬間、子どもは学びと成長のゾーンに入ってます。

 

いままさに学びが起きようとする、最高の状態です。

 

しかしふつうのイベントオペレーションでは、より多くの方への体験機会提供を優先するため、ブース体験は1人1回限り。時間制限もあります。

 

せっかく「もっとやりたい!」と火が付いた子どもを、”生焼け”のまま送り出さねばならないのは、ほんとうに残念なことです。

 

しかし今回は違いました。

 

高い「体験密度」を実現

 

あいにくの天気で客足の伸びはイマイチでしたが、逆に子どもたちは体験し放題。気に入ったブースには何度でもリピートしに戻ってきます。

時間を忘れて何度でもチャレンジ

 

火がついた子どもの成長スピードは驚くほど。周囲の人の声援も受けて、メキメキと上達していきます。

 

「ゾーン」に入った子どもに対しては、鈴木さんの教え方も変わります。「カンナをもう少し斜めに!」と、より高度な技術指導も飛び出します。

 

仲良しになった子どもたちから「師匠、師匠!」と慕われて、鈴木師匠も満面の笑みでした^_^

 

まとめ

 

終わってみれば、ブースを埋め尽くすほどの削り華!これまでのカンナがけ体験で文句なく過去一の量でした。

体験の「質」も大切

 

例年に比べお客様は少なかったようですが、その分密度の濃いブースサービスが提供できました。客数だけでなく「体験密度」も考えていく大切さを実感しました。

 

子どもたちを「信頼」する

 

鈴木師匠から学んだのは、

 

「現代の大人は”教えすぎ/手助けしすぎ”の過保護教育に陥りがちではないか」

 

ということ。

 

これは裏返せば「子どもたちの自分で学ぶ力を信頼していない」ということかも知れません。

 

◆事前説明はし過ぎない。まずは自分で自由にやらせてみる。

◆しかしもちろん”教えない”わけではない。成長ゾーンに入った瞬間を見逃さず、タイミングを見極めて一押しする。

◆子どもたちが自然に「自分の力でできる」ように、見えないところで環境(アフォーダンス)をデザインする。

◆「放任」でも「監視」でもなく、「見守る」。

 

奥の深い学びの環境デザインは、鈴木師匠ご自身が経験された日本の職人文化に根ざすものではないかと考えます。

 

ブースの「化学反応」

 

「ブース体験は各ブース内で完結」というのがこれまでの発想。しかし、複数のブースサービスが交流や連携プレーをすることで”化学反応”や”ストーリー”が生まれれば、より高次元の楽しみが実現します。

 

ここから「ブース同士の化学反応をデザインする」という新しい創発的な場のデザイン理論が生まれるかも知れません。

 

「アーティスト&カーペンター」は、主催者の幸和建設工業武田社長の哲学に共感する優れた職人が集まるイベント。たくまずして、素晴らしい創発力のある場が生まれているのではないか。

子どもたちとつくったたくさんの楽しい体験を振り返りながら、そんな感想を抱きました。

2023/10/29 伊勢原市・高岳院内の「欽ちゃん寺」で、情黙弁財天像と弁天堂がお披露目されました。

10月29日、伊勢原市三ノ宮の高岳院にて、「情黙弁財天&記念石碑除幕式」がとりおこなわれました。

式典のポスター

 

欽ちゃんが思いをこめた弁天さま

 

「欽ちゃん寺」は、タレントの萩本欽一さん(82)が構想するお寺。

 

萩本さんと伊勢原市三ノ宮の古刹・能満寺の松本住職との出会いがきっかけで、同じ三ノ宮の高岳院(能満寺末)内に創建が進められています。

 

萩本さんは、亡き妻澄子さんの面影を偲ぶ弁財天像の建立を発願。寡黙にして情の深かった奥様への思いをこめて「情黙弁財天」と名づけました。

式典の様子

弁財天をお納めする弁天堂も無事竣工し、29日に情黙弁財天開眼供養と記念石碑の除幕式が開催されました。

記念石碑

 

弁天堂と太子堂

 

じつはこの弁天堂の建物は、もともと半原宮大工のふるさとの神奈川県愛川町半原にあった「旧太子堂」を移築・改装したものです。

 

太子堂とは、聖徳太子を祀るお堂のこと。

 

古くより、大工仲間では仏教の興隆者で四天王寺の創建者でもある聖徳太子への信仰が盛んでした。各地で太子講が組織され、太子堂を建てて祭祀や集会に利用してきました。

太子堂は各地にあった(河越喜多院の太子堂)

 

伊勢原と半原を結ぶ弁天堂

半原の太子堂は、半原宮大工の系譜につらなる八木建設跡地の一角にありました。かつては半原宮大工の信仰と交流の拠点だったはずですが、すでに支える人々もなく、忘れらた存在でした。

愛川町半原の太子堂

 

今回、私たち(一社)半原宮大工集団と能満寺の松本住職の間で相談し、この太子堂を欽ちゃん寺の弁天堂として再生する運びとなりました。

 

半原宮大工の手がけた寺社建築がいくつも伊勢原に、また一つ半原宮大工ゆかりの建物が加わることになりました。伊勢原と半原を結ぶ地域間交流の物語に、新たな1ページが加えられたかたちです。

 

次代の宮大工の育成も

次代の宮大工の育成も、当団体の事業の柱のひとつ。

 

今回の太子堂の移築と弁天堂への改装作業には、本村理事が指導する「宮大工の卵」が参加。日頃の研鑽の成果を遺憾なく発揮してくれました。

弁天堂に生まれ変わったかつての太子堂

 

貴重な経験を糧に、ゆくゆくは相模の地域宮大工文化継承を担う存在に育ってもらいたいものです。

 

………

 

さまざまなストーリーを結んで生まれた、欽ちゃん寺の弁天堂。たくさんの人々に愛されるお堂になればうれしいです。

弁天堂と記念石碑

 

 

【関連リンク】

 

伊勢原市観光協会記事

https://isehara-kanko.com/news/

2023/11/03 高部屋神社(伊勢原市)で「宮大工体験ブース」を出展しました

11月3日(土)の文化の日、伊勢原市の高部屋神社で「宮大工体験ブース」を出展しました。

 

高部屋神社とは

 

伊勢原市下糟屋に鎮座する、相模国延喜式内十三社の一つ。江戸初期の本殿や立派な社殿彫刻、中世の梵鐘や古式神事も伝わる由緒あるお社です。

高部屋神社(伊勢原市)

 

文化の日、同社で実施の伊勢原市の文化財ガイド事業に合わせて、当団体も「宮大工体験ブース」を出展することに。

 

子どもたちの教育に熱心なサッカークラブ「伊勢原FCフォレスト」との初コラボ事業です。

 

内容は、

 

①神社建築クイズトーク

宮大工体験の予備知識をクイズ形式で学びます。

②宮大工体験

カナヅチで釘を打ち込む「釘打ち体験」。

③プレイグラウンド

釘打ちキットをデコレーション。県産材積み木遊び(協力:MORIMO)でも遊べます。

 

ほかに、大工道具や職人文化がテーマの「宮大工パネルクイズ」も設置しました。

ブース構成図

 

クイズトーク

 

伊勢原FCフォレストの呼びかけで、朝10:00のスタート直後から子どもたちが詰めかけてくれました。

神社建築の見どころを学ぶ

 

クイズトークでは、目の前にある高部屋神社社殿を見ながら、日本建築の木組みから釘の話へとつなげます。

 

とくに珍しい「和釘」には、子どもも大人も興味津々のようでした。

 

釘打ち体験

 

今回の目玉は「釘打ち体験」。自分で選んだ釘を、みんな真剣な表情で打ち込んでいきます。

「全集中」で釘を打ち込む

 

板材は理事本村が準備した吉野ヒノキ。宮大工も使うホンモノの良材に触れ、木の香りもしっかり体験します。

 

プレイグラウンド

 

釘打ちが出来たら、隣のプレイグラウンドでデコレーション。オリジナルシールを貼って鈴をつけたら完成です。

MORIMOさんからお借りした積み木も人気。

たくさん木に触れて遊ぶことができました。

成果と展望

 

散歩中のご近所のファミリーの立ち寄りなどもあり、ブースは終日盛況。

遊びに来たファミリーが市の文化財ガイドツアーにも参加する相乗効果も。

 

神社関係者のみなさんも「子どもたちの元気な声がきけてよかった」と喜んでいただけました。「来年は地域の小学生に広く声掛けをして、たくさん集客を」と次回の展望についての話も盛り上がり、有意義な事業となりました。

 

文化財ガイドと拝殿を見学

 

地元

2023/10/28 半原宮大工研究者・鈴木光雄さんの「半原歴史講座」に参加しました

10月28日、愛川町ラビンプラザで開催の「半原歴史講座」に参加しました。

 

講座テーマは「江戸城普請と矢内匠家」。

講師は「半原宮大工矢内匠家十四代曽孫弟子」の鈴木光雄さんです。

鈴木光雄さんについて

 

講師の鈴木光雄さんは、半原生まれの半原在住。

 

若くして半原宮大工に弟子入りされ、その現場をリアルに経験された最後の方。いまも現役の大工としてご活躍中のかたわら、半原宮大工研究をライフワークとされています。

 

私たち(一社)半原宮大工集団の活動もいつも暖かく見守っていただいていており、今回の講座にもお声がけくださいました。

 

半原宮大工の江戸城普請

 

鈴木さんは、年に1〜2回程度地元愛川町で「半原歴史講座」の講師を務められ、半原宮大工の歴史や活動をご紹介されています。

NHK大河ドラマ「どうする家康」放送にちなみ、今回は「江戸城と半原宮大工の関係」についてのお話でした。

 

半原宮大工集団は、江戸時代後半の約100年間にわたり江戸城普請の「作事方」を務めました。

 

当時、江戸城普請に携わるのは実力と信頼を認められた限られた大工棟梁だけであり、ステータスでもありました。

 

半原宮大工の棟梁は「弟子の大工集団を率いて、半原から徒歩で2日かけて江戸城へ向かった」(鈴木さん)そうです。

 

会場では鈴木さん所蔵の「江戸城西の丸」の図面も展示されました。半原宮大工が江戸城普請に携わったことを実証する貴重な史料です。

江戸城西の丸図面。色塗り部分が半原宮大工の担当箇所と考えられる

 

半原宮大工の多彩な建築

 

半原宮大工集団の特徴の一つが、手掛けた建築の多彩さ。寺社建築はもちろんのこと、お神輿もたくさん作っています。

 

一方で、小田原城や江戸城などの城郭・御殿建築に携わるなど、大規模な公的建築プロジェクトを成し遂げる実力も持っていました。

 

後に半原宮大工集団が明治政府や自治体からさまざまな近代公共建築を請け負うのも、こうした江戸時代以来の実績が考慮されたためと思われます。

 

大工道具の展示解説も

 

鈴木さんの講演会ではいつもさまざまな大工道具の実物も展示され、受講者にとって大きな楽しみとなっています。

大工道具の説明をする鈴木さん

 

「宮大工の作った神輿は、きちんと分解・修復できるように作られている」「水車のような高い精度が必要な造作も、宮大工は確実にこなした」などさまざまなエピソードに話がハズみ、楽しい講座となりました。

愛川町の「旧半原小学校」を訪問しました。

10 月 28 日、愛川町立半原小学校の敷地内にある「旧半原小学校校舎」を初訪問しました(杢代・柳田)。

旧半原小学校校舎(愛川町半原)

神奈川県内最古の貴重な現存木造校舎であり、また半原宮大工集団ゆかりの近代建築でもあります。

 

予約すれば内部見学も可能とのことで、今回は愛川町郷土資料館の岩田様にご案内いただきました。

外壁-ドイツ下見

まず最初の見どころが外壁。

近代洋風木造建築に多く見られる下見板張です。

ポピュラーな「イギリス下見」ではなく「ドイツ下見」を採用しているのがシブい!

イギリス下見は横板をずらしつつ上下に重ねるため、壁面はヨロイ状の段々に。しかしドイツ下見は横板を加工して上下に継ぎ合わせるので、シュッとした平らな壁面になります。

加工に手間のかかるドイツ下見ですが、複雑な木継ぎ技法を使いこなす半原宮大工には朝飯前だ

ったかもしれません。

実はこの外壁は、今年(2023 年)塗り直されたばかり。鮮やかなピンク色が、建物の外観イメージを明るくしています。

小学校のシャンデリア

玄関を入るとすぐ、ゴージャスな照明が目に飛び込んできます。

説明板には「昭和 6 年、半原小学校講堂竣工のときに設置した十数個のシャンデリアのうちの一つ」とあります。

優美なシャンデリア

むかしの学校建築では、こうした豪華な照明器具がしばしば採用されました。

「子どもたちに最高の学び舎を!」というかつての教育熱の高さとともに、わが町の小学校への

シビックプライドも感じられます。懐かしの「木の教室」

教室の扉を開けた瞬間!

まるで小学生時代にタイムスリップしたような感覚。木の机と椅子が並ぶ懐かしい木造教室がそこにありました。

この教室は、2021 年に愛川町が「懐かしの学び舎」として整備したもの。この建物のいちばんの

見どころです。

再現された木造校舎の教室

天井も壁も床も木。小学校時代、床にワックスがけしたのを思い出しました。机も椅子も、黒板

も教卓も、オルガンもすべて木製。

むかしの教室がこれほどまでに木の香りに満ちていたとは!あらためて驚かされます。

明治以来、日本の学校教育は急速に近代化=西洋化しました。しかし、実は子どもたちが日々学ん

でいたのは日本建築の伝統につらなる”木の空間”だった…というわけです。

愛川町内の小学 6 年生は、年に一度この木の教室でむかしの暮らしを学ぶ授業を受けるそうです。よそではなかなか真似できない羨ましい授業ですね。

机とイスの物語

教卓は同校伝来のものです。しかし子どもたちの木の机と椅子は教室再現当時すでに失われていました。「どうやって集めたものかけっこう悩んだ」(岩田さん)とのこと。

木の椅子。重みもなつかしい

幸い町の呼びかけに応えて、長野県蓼科町、和歌山県田辺市、福岡県大川市、山梨県市川三郷町

の 4 つの自治体が寄贈協力してくれました。

偶然とはいえ、いずれも愛川町と同じ木と森と山に縁の深い土地ばかり。木の学び舎がつむいだ新たな地域間の縁。ステキです。

木の机と椅子が結んだ縁

大正のガラス窓

日本の近代木造校舎建築の大きな特徴は、採光を重視して「窓が多く明るい」こと(註 1)。校庭側はもちろん、廊下側もガラス窓です。

よく見ると、ガラスの表面がかすかに歪んでいるのがわかります。いわゆる「大正ガラス」です。

大正ガラスの窓

透明で平坦なガラスの製造は難しく、国産板ガラスの生産は大正時代にようやく本格化しました。

 

ところがガラス製造技術が進歩した現在、歪みのある大正ガラスの製造技術は失われ、いまでは再現不可能な”幻のガラス”に。

旧半原小学校の窓ガラスは、技術史的にも興味深い貴重なものなのです。

換気口の校章

教室の天井の隅には「換気口」が設けられています。下から見上げると、内部に花模様が。

実はこれ、半原小学校の「校章」をかたどったデザインなのです。

教室天井の換気口

半原小学校の校章

人目につきにくい細部の意匠にまでこだわる大工の粋。精緻な木工技術に長けた半原宮大工の面目躍如です。

「県内最古」の木造小学校校舎

神奈川県内には、他にも戦前の木造小学校校舎がいくつか現存します。

 

横浜市の横浜共立学園本校舎(昭和 6 年築)、鎌倉市立御成小学校旧講堂(昭和 9 年築)などが有名ですが、いずれも昭和の建築です。

旧半原小学校校舎が建てられたのは 1926(大正 15)年。県内唯一の大正時代の小学校校舎であ

り、すなわち「県内最古の現存木造小学校校舎」なのです。

昭和 20-50 年頃までの半原小学校図(説明展示より)

かつて半原小学校の敷地には複数の木造校舎や講堂がありましたが、昭和 53(1978)年の鉄筋コンクリート校舎建設に先立ち撤去されることになりました。

 

その際、既存校舎の一部を「曳き屋」して現在位置まで移動し、残したものがこの「旧半原小学校校舎」です。

半原宮大工集団と近代建築

旧半原小学校校舎は、地元の「半原宮大工集団」の手で建てられました。

半原宮大工集団は、かつて県内に複数存在した「地域宮大工集団」の一つ。地元愛川町内はもち

ろん、県下の多くの神社仏閣建築を手掛けたことで知られます。

半原宮大工集団が建てた勝楽寺山門(愛川町)

明治の文明開化とともに、わが国では近代建築への需要が急増。しかし当時の日本には、洋式建築術を知る技術者はほとんどいませんでした。

そんな中で活躍したのが半原宮大工集団です。持ち前の高度な宮大工技術を活かし、役場や工場、銀行などの近代建築を次々と手掛け、地域の近代化に大きな役割を果たしました。

半原宮大工集団は近代建築も手掛けた(図版出所:註 2)

こうした初期の近代木造建築も、やがて時代とともに役割を終え、現代建築に建て替えられたり

撤去されて失われていきました。

 

半原宮大工集団が手がけた数多くの近代建築の中で最後まで残ったのが、この旧半原小学校校舎。地域の歴史が深く刻まれた貴重な一棟なのです。

廊下と防災建築

教室の外へ出ると、ただ一本の廊下が教室を結んでいます。さらに廊下の脇には並行して土間が走るというたいへん珍しい造りです。

教室を結ぶ廊下と土間

そして廊下の中央部には大きな扉が。

このフシギな構造には、当時の人々の防災への強い思いが込められていました。

校庭に直結する扉

大正 12(1923)年の関東大地震の際、震源地に近い神奈川県では多くの建物が倒壊しました。

旧校舎が建てられたのは 3 年後の大正 15(1926)年。生々しい震災の経験を踏まえ、子どもたちが教室からすぐ校庭に出られるよう工夫されたのがこの構造なのです。

奇しくも今年(2023 年)は関東大震災から 100 年。子どもたちをいかに災害から守るかは、いまも変わらぬ課題です。

「糸のまち・半原」と半原宮大工集団

他の教室は、郷土愛川の歴史を語るさまざまなモノの展示・保管の場として活用されています。

とりわけ目を惹くのが、生糸の撚糸にかかわる繊細な機械の数々。近代の愛川町半原は、生糸の撚糸産業で栄えたまちでした。

半原の近代を支えた撚糸機械の数々

原材料の生糸は、撚糸を経て輸出商品になります。この中間工程の撚糸で栄えたのが半原です。

半原は、生糸の産地と横浜港を結ぶ街道筋の好立地。町内を流れる中津川の渓流は、生糸の加工に適度な湿気をふくむ動力源(水力)です。

しかも半原には、この恵まれた立地と資源を活かす「技術力」がありました。

半原宮大工集団です。

近代的な撚糸工場の建設はもちろん、水車を動力とするさまざまな撚糸機械も、半原宮大工集団

の流れを汲む人々によって開発されました。

撚糸機械のプレートに刻まれた「半原」の文字

かつて半原宮大工が得意とした精緻な木工技術は、明治日本の撚糸産業発展の礎を築き、「糸の

まち・半原」に豊かな富をもたらしたのです。

「百年建築」と地域の未来

旧半原小学校校舎はまもなく百歳。

長い歴史に耐えた木造校舎は、かつての半原宮大工集団の技術力の高さを物語っています。

ひるがえって現在。

小学校自体が統廃合の時代を迎える一方、日本の木造建築の魅力と価値に再び光が当たり始めて

います。

半原小学校の現校舎と旧校舎

実際に訪れた旧半原小学校校舎は、想像を超えた魅力と物語に満ちた建築でした。

百年を超えたその先に、旧半原小学校校舎はどんな未来を辿るのでしょうか。私たち現代の半原宮大工集団も、真剣に考えていきたいと思います。

ご丁寧なガイダンスをいただきました郷土資料館の岩田さまに、厚くお礼申し上げます。

【用語】

下見板張(したみいたばり)

平たく長い外装材の板を横張りする外壁施工法。

下見板張の技法は伝統和風建築にもあるが、近代以降に登場した洋風建築の住宅や学校が多用されたため、モダンな洋風木造建築のイメージが強い。

西洋建築の下見板張技法には、大きく分けて表面に段差ができる「イギリス下見(南京下見)」と、

表面を平坦に仕上げる「ドイツ下見」がある。

【註】

  • NHK 美の壺「木造校舎」

https://www.nhk.or.jp/tsubo/program/file133.html

⇒木造校舎の見どころや日本建築との関係など。

  • 鈴木光雄「半原宮大工矢内匠家匠歴譜」神奈川新聞社、2009)

⇒半原宮大工の業績を知るための基本図書。

【参考動画】

愛川町チャンネル「タイムマシンで懐かしの学び舎へ GO!Long trip」https://youtu.be/sAzmEMiBE_0?si=3ggu1GlbPQxfn-bI

⇒再現教室を紹介。校歌作曲はあの古関裕而!

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