10月29日、伊勢原市三ノ宮の高岳院にて、「情黙弁財天&記念石碑除幕式」がとりおこなわれました。
式典のポスター
欽ちゃんが思いをこめた弁天さま
「欽ちゃん寺」は、タレントの萩本欽一さん(82)が構想するお寺。
萩本さんと伊勢原市三ノ宮の古刹・能満寺の松本住職との出会いがきっかけで、同じ三ノ宮の高岳院(能満寺末)内に創建が進められています。
萩本さんは、亡き妻澄子さんの面影を偲ぶ弁財天像の建立を発願。寡黙にして情の深かった奥様への思いをこめて「情黙弁財天」と名づけました。
式典の様子
弁財天をお納めする弁天堂も無事竣工し、29日に情黙弁財天開眼供養と記念石碑の除幕式が開催されました。
記念石碑
弁天堂と太子堂
じつはこの弁天堂の建物は、もともと半原宮大工のふるさとの神奈川県愛川町半原にあった「旧太子堂」を移築・改装したものです。
太子堂とは、聖徳太子を祀るお堂のこと。
古くより、大工仲間では仏教の興隆者で四天王寺の創建者でもある聖徳太子への信仰が盛んでした。各地で太子講が組織され、太子堂を建てて祭祀や集会に利用してきました。
太子堂は各地にあった(河越喜多院の太子堂)
伊勢原と半原を結ぶ弁天堂
半原の太子堂は、半原宮大工の系譜につらなる八木建設跡地の一角にありました。かつては半原宮大工の信仰と交流の拠点だったはずですが、すでに支える人々もなく、忘れらた存在でした。
愛川町半原の太子堂
今回、私たち(一社)半原宮大工集団と能満寺の松本住職の間で相談し、この太子堂を欽ちゃん寺の弁天堂として再生する運びとなりました。
半原宮大工の手がけた寺社建築がいくつも伊勢原に、また一つ半原宮大工ゆかりの建物が加わることになりました。伊勢原と半原を結ぶ地域間交流の物語に、新たな1ページが加えられたかたちです。
次代の宮大工の育成も
次代の宮大工の育成も、当団体の事業の柱のひとつ。
今回の太子堂の移築と弁天堂への改装作業には、本村理事が指導する「宮大工の卵」が参加。日頃の研鑽の成果を遺憾なく発揮してくれました。
弁天堂に生まれ変わったかつての太子堂
貴重な経験を糧に、ゆくゆくは相模の地域宮大工文化継承を担う存在に育ってもらいたいものです。
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さまざまなストーリーを結んで生まれた、欽ちゃん寺の弁天堂。たくさんの人々に愛されるお堂になればうれしいです。
弁天堂と記念石碑
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